ミサのご案内


当教会のミサ再開の方針は次の通りです。
・主日ミサは6月21日(年間第12主日)より再開します。7時,9時,10時半,12時,18時の5回行います。
 ※9時は従来の子どもミサではありません。
・公開ミサは6月19日(イエスのみ心の祭日)より再開します。7時,10時半の2回行います。
・1度のミサにつき150名程度に入場を制限します。
 ※制限人数を超えた場合は、入場できません。

☆ ミサ入場の際のご注意 ☆
ご入場にあたっては、受付をいたします。次の3項に該当する方は、入場をお断りいたします。
①体調のすぐれない方・発熱されている方
②マスクを着用されていない方
③お名前・電話番号の記帳(万一の際の連絡用。教会にて厳重に管理)にご協力いただけない方

※ 感染拡大防止のためにミサの人数制限を行う状況です。菊地功大司教様のご指示もあり、当面はご自分の所属教会以外でミサに参列することはどうかお控えください。

なお、教会所属の信徒の皆様には、登録されているご住所に教会からのお知らせや、ミサ再開にあたってのガイドライン等を発送いたしましたので、そちらをご確認ください。

皆様のご理解とご協力を切にお願いいたします。

司 祭 の 言 葉

2020年7月5日

江戸のサンタ・マリア聖堂の壁画を描いた方は誰?

2020年7月5日

江戸のサンタ・マリア聖堂の壁画を描いた方は誰?

碑文谷教会は、別称、江戸のサンタ・マリア教会と呼ばれて言います。皆様よくご存じのとおり、この聖堂名の由来は、聖堂の右側入り口から入ったところの一枚の聖母画にあります。18世紀初頭、屋久島に上陸、江戸のキリシタン屋敷に閉じ込められたジョバンニ・バッティスタ・シドティ神父が持参した、カルロ・ドルチ作と言われる悲しみの聖母画のレプリカで、実物は東京国立博物館所蔵です。

この教会のもう一つの特徴は、聖堂内の壁画でしょう。『目黒サレジオ教会50周年記念誌』の33頁に次のような記述が見られます。

「落成の当時、聖堂内部は簡素な白壁であったが、後にサレジオ会の本部から派遣されたフェラーリ修道士が来日して、天井および壁面のフレスコ画の制作に従事し、四年余りの歳月を経て完成したのが今日人々が目にする壮大な全面の壁画である。祭壇にはイタリア産の大理石が用いられているが、中央祭壇と聖体拝領台および洗礼盤は、いずれもイタリアのデ・ガスペリ元首相およびイタリア政府関係者の寄進によるものである」。記念誌には、続いて、鐘楼や鐘についての説明が載っています。

ご承知のように、祭壇に向かって前方左右の絵が全く違うことがお分かりだと思います。それらの壁画は誰の手によるものでしょうか。それに関しても、上記記念誌の42頁に「デランジェラ師は、教会の美化も配慮した。聖堂右手の壁画は東京芸大助教授の作品で、師の努力によるものである」と説明されています。右手の壁画をみると“K.MORI 1982”というサインがあります。芸大助教授と言われるこの方は一体どういう方なのでしょうか。どなたか、ご存知ありませんか。

一方、祭壇に向かって左手の3つの壁画と聖堂後方の受胎告知と聖母子にはSecondo RAGGI KARUZという署名があり、1965年Agosto(8月)と書かれています。この方は一体誰で、どんな経緯で壁画を描くことになったのでしょうか。ロロピアナ師、小坂師、聖堂ツアーをなさっている吉成さんに資料をいただき、KARUZさんの甥御さん(奥様のお姉さんの息子)にあたる写真家・後藤究氏(調布在住)に伺ったところ、だんだん見えてきました。Secondo RAGGI KARUZ(1933年、現クロアチアのZARA生まれ、現在ローマ郊外在住)はローマ国立美術アカデミア絵画科を卒業。1961年から異文化への強い関心からアフリカ、中近東、アジア諸国を巡り、1962年~67年東京に滞在しました。その間、東京芸術大学で客員研究員として学ぶ一方、壁画科の島村三七雄教室でイタリアのフレスコ画法を伝授したそうです。このころ世田谷区梅丘在住の写真家・後藤九(あつみ)氏一家と交流を持つようになり、後藤九(あつみ)氏の奥様・禮子さんの妹である星田洋子さんと知り合い、1966年5月1日碑文谷教会で結婚式をあげています。洋子さんは結婚一か月前の4月5日に碑文谷教会でデューメ師からサビナの洗礼名で受洗しています。姉の後藤禮子さん、甥御にあたる後藤究さんのお話しでは、RAGGI氏は碑文谷教会で希望者にイタリア語も教えていたそうで、そのような碑文谷教会のとの関わりの中で壁画制作を手掛けることになったのは自然な流れといえるでしょう。

またご夫妻の息子ルカ君はローマ大学を卒業し、イタリア政府給付生として東京芸術大学に留学生として来日していたのですが、在学中に急死。彼の葬儀も碑文谷教会で行われたそうです。

聖堂右後方の洗礼盤の後ろの壁画ですが、1954 Takeo Terasakiの署名があります。この寺崎武雄(1883~1967)氏は1907年に東京美術学校を卒業後、農商務省実業講習生としてイタリアに渡り、フレスコ画やエッチングを学び、1916年帰国。1918年山本鼎らと日本創作版画協会を創立。1930年日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞。1949年焼失した法隆寺金堂壁画のため国宝の輪堂一面に壁画を描いた方です。別荘を持ってよく通っていた房総の自然や歴史に興味を抱き、やがて館山に移住し、房総神話を描く画家として知られるようになりました。そういう方が、何故、碑文谷教会の洗礼盤を囲む壁に主の洗礼の壁画を描くようになったのか、その経緯も、ご存知の方がいらしたら御教示願えないでしょうか。

この碑文谷教会が実に多くの方々の献身的な奉仕によって、現在の姿になってきたことを感謝しながら、祈りと愛徳の奉仕の場にしていきたいものです。

主任司祭 松尾 貢


◎菊地大司教様から、20人以内の教会活動や会議などの開催が許可されました。
◎各講座も開始されています。どうぞ、ご参加ください。

典礼聖歌

コロナ感染症予防のため、ミサでの聖歌の歌唱や演奏は行いません。