碑文谷教会バラ窓
サレジオ会の歴史

サレジオ会(Salesians of Don Bosco S.D.B.)は、北イタリアのヨハネ・ボスコ神父によって 1859年に結成されたカトリック教会の修道会です。

 
1815年8月16日

ヨハネ(ジョヴァンニ)・ボスコ、イタリア・トリノ市郊外のベッキ村にて生誕。

1824年 

「九歳の夢」ヨハネ・ボスコは夢の中で、暴れていた子どもたちを柔和と愛で善に導くよう イエス・キリストから諭され、時が来ればすべてが分かると聖母マリアから予言された。これが、彼の司祭への道の原点となった。

1841年6月5日

ヨハネ・ボスコ、トリノ大司教により司祭叙階。 ドン(神父の意)・ボスコと呼ばれる。 ドン・ボスコは、イタリア・トリノを中心に活動した。産業革命の時代に厳しい環境での 労働を強いられ、身寄りもなく非行・悪行に走る青少年たちの姿に触れた。そのような実情を見て、ドン・ボスコは彼らに深く同情し、弱い立場にある青少年の魂の救いのために 働くことを決意した。そして、職業訓練や教育を行う「オラトリオ」(のちのサレジオ日曜 学校やユースセンター)を創設し、粘り強く神の道へと導いていった。 さらにドン・ボスコは、青少年の救いのための活動を永続的に続けられるよう、自らの後 継者を育て、修道会の創設へ動いた。

1854年

のちの「サレジオ会」の最初の集会が行われる。

1859年12月18日

イタリア・トリノにてサレジオ会が創立される。修道会名は、ドン・ボスコが生まれた地域の聖人で、柔和と慈愛の人といわれる聖フランシスコ・サレジオ(1567年~1622年) にちなむ。1871年サレジオ会が聖座により正式に公認される。1872年姉妹修道会であるサレジアン・シスターズが創立される。

1875年

サレジオ会員がアルゼンチンに初めて派遣され、世界各地への宣教が始まる。

1888年1月31日

ドン・ボスコ帰天する。 72歳。彼の始めた青少年のための教育事業・社会事業は、 多くの協力者を得て全世界に広がっている。

1934年4月1日

ローマにてドン・ボスコが列聖される。

サレジオ教会イメージ

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サレジオ会と学校

日本におけるサレジオ会関係の教育機関・団体についてご紹介します。

サレジオ会関係の教会

カトリック東京教区と横浜教区にまたがる「サレジオ6教会」のほか、別府教会(大分県)・浜松教会(静岡県)などの各地の小教区をサレジオ会の司祭が担当しています。
⇒ サレジオ6教会へのリンクはこちら

 

サレジオ会の神学院・養成機関

調布サレジオ神学院
四日市サレジオ志願院

 

サレジオ会関係の教育機関・社会福祉施設

サレジオ会は、
◇サレジオ工業高等専門学校(東京都)
◇サレジオ小学校・中学校(東京都)
◇サレジオ学院中学校・高等学校(神奈川県)
◇大阪星光学院中学校・高等学校(大阪府)
◇日向学院中学校・高等学校(宮崎県)
のほか、当教会に隣接する目黒サレジオ幼稚園(東京都)などの教育機関、児童福祉施設の母体となっています。

 

その他のサレジオ会関連機関

出 版
ドン・ボスコ社(東京都)

 

ボランティア
DBVG(ドン・ボスコ海外青年ボランティアグループ)(東京都)

 

資料館
チマッティ資料館(東京都)

 

日本のサレジオ家族

日本のサレジオ家族(サレジアン・ファミリー)は以下の8グループから成ります。

サレジオ会(SDB
◇サレジアン・シスターズ(FMA
◇イエスのカリタス修道女会(SCG
◇サレジアニ・コオペラトーリ(ASC
◇扶助者聖マリアの会(ADMA
◇ドン・ボスコ女子在俗会(VDB
◇サレジオ同窓会連合(EXDB
◇FMA同窓会連合(ウニオーネ:EXFMA